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大谷 環 エッセイ
「ギャップ」
ギターの研究を続けていられるのはひとえにギャップがあるからである。理想と実際の演奏との間にあるギャップ。あこがれる演奏家と自分とのギャップ。やっていると思っていることと、現実の行為の間にあるギャップなどである。
ギャップはふつう否定的に使われる言葉だけれど、じつはエネルギーの元であると言う事実を忘れてはならない。
もしギャップが無くなったら(とりも直さず、この状態は問題がないということだから)、僕は練習などせずに、昼寝をして過ごすことだろう。
さてギャップはどこで発生するのだろう。
自分にとっての新曲にはギャップはない。
まずは指が乗るというところまでは、その曲に慣れるという作業で精一杯なのでギャップは起こりえない。無意識で弾けるというところまで持って行くためにはそれこそ曲によっては100の単位を超える弾き込みの回数が必要となるが、この回数をこなして曲が手に入ってくると(ここまでの段階を稽古という)気づきは一気に増えてギャップが発現してくる。
指使いの都合によって力んで出てしまう間違った位置のアクセント。左の移動による時間のずれなど、たちまち起きる基本的な問題から、各曲特有の問題がつぎつぎに気になってくるのだ。本格的に練習(ここからを本当の意味で練習という)が面白くなってくるのは、この辺りからだ。
ギャップがあると観察力もアップしてくる。たとえば誰かの演奏が気に入ったとしよう。ギャップがないと、そこで「巧かった」で終わってしまうけれど、ギャップがあれば、どこがどのように弾いているから巧かったというところまで詰められる。この差は大きい。
ギャップを埋めて行くのは、日々の精進でしかない。それも楽しい精進で。
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