大谷 環 エッセイ
「向上心」
体調がどうにも思わしくなくなって、それを整えるためにはじめた太極拳が10年になる。薬や鍼なども解決の方法としてはあったが、それら自分には向かない考えのものをオミットしていったところのひとつが太極拳だった。
コンディショニングの方法はいくつ知っていてもいいという考えなので、まあ続かないまでも、やってみようという程度の気持ちでのスタートだった。そのおかげもあって今は快調ではある。
習いに行った時は、生徒の中で僕が一番若くて、皆さん人生でも太極拳でもベテランぞろい。優雅な動きを参考にさせてもらった。習いに来られている方は運動不足解消とか、ストレッチを兼ねて、とかいずれにせよ、最終の目的は「健康」にあったことは間違いない。
でも先生は言われるのだ。「健康を考えて舞ってはいけません、動きに集中するように」と。これがなかなか難しくて、一生懸命やればやるほど、力が入って、舞っても舞っても清々しさにたどり着かない状態が続いた。
なんとか調子を取り戻したいという切実な思いがいつもあって、現実からかけ離れていたというのが事実である。太極拳を舞っているだけが「現実」で「健康」は「思い/ファンタジー」である。そのファンタジーに邪魔されて現実の動きを見ることを怠っていたのだ。だから動きに滑らかさが出なかったのだ。思いにかられると注意力は激減する。
ギターも同じようなものである。その音と運動にのみ着目して練習をすると、思いを馳せている暇などなくなる。弾いているという事実だけで充分になるのだ。そこには「向上心」(ネーミングはいいけれど、これもただの「欲」)と呼ばれるものも入り込む余地がなくなる。
思いに囚われなくなった練習は評価されたり、または自分でしたりということから全く自由で、それだけでとても満足のいく時間になっていく。
