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大谷 環 エッセイ
「自然」
自然という言葉はなにげなく使われるけれど(だからこそ)ちょっと扱いづらい。個人々々の解釈が違い過ぎたり、その意味が広範囲にわたるためかもしれない。音楽のフィールドでは僕は極力使わないようにしている単語だ。便利に使えるぶん落とし穴がある感じをうける。
ギターのトレーニングのゴールはたしかに「自然に聞こえる音楽」を造り上げることなんだけれど、その練習の過程は、少なくとも種をまけば花が咲くように「ほっとけば」(自然に)うまく弾けるようになるってものではない。
テーマはどうやって「いかにもその音楽が自然に生まれたように聞こえる」ようにするか、ということだ。あくまでも造られた自然であることに間違いはないだろう。
造られた自然なんていうと、なんだか造花のようなイメージもあって、いかにもまがい物らしく聞こえるけれど、音楽はそのつくりそのもののレベルが非常に高いのだ。藝術は「人工 artificial」が限り無く「自然」に近づく行為だと思う。「自然に弾く」とか「自然に聞こえる」とか、この単語を使って理解する(考える)時に、もう一つ単語をつけていくと面白い。
たとえば音と次の音の関係がディミヌエンドになると自然に聞こえる。とか、タイミングがずれて遅れる(もしくはつっこむ)と自然に弾ける、とか。などというふうにしていくと、「自然」という言葉が表していた具体的な意味が少し見えてくるのではないだろうか?自然という言葉を安易に使うことで、いま一歩深い理解をのがしていることはないかな、とちょっと反省してみるのもいいんじゃないだろうか?
イヌイットの言語では「雪」の様子をあらわす単語が何種類もあると聞いたことがある。音の世界もそうなれば面白いのにな。
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