大谷 環 エッセイ
「音質の変容」
「時代の影響を受けない芸術はない」と言われる。音楽のマチエル(素材)であるギターの音も例外ではない。
ソル、ジュリアーニの時代、彼らの音楽に応えるために、シックでエレガントなラコートやパノルモなどの銘器があった。
タレガの時代になって、トーレスが低音弦のハイポジションの可能性をひろげた。この時ギターの「うたい心地」は格段に変わった。
そしてセゴビアがギターをサロンからコンサートホールへ持ち出すという大変化がおこり、それにこたえて、ラミレスをはじめ多くのギター職人たちが音量的にさらに充実したものを作ることに成功した。
今またギターの音は変わろうとしているようだ。それは音楽の存在が、生からCDなどのメディアを介するスタイルになってきたこと無関係ではないだろう。
レコードやCDが出る前までは音楽の場は「生」しかなかった。だからレコードがまだ少なかった時代はコンサートを聴いてはじめて「本当はこんな音がするのか!」という感激や確認があった。ところが今は順番が逆になってしまって、CDの方が基準になってしまった。だから「CDと違うじゃないか!」ということになってしまうわけだ。
文化は正しさによって存在するわけではない。が、その理屈はどう考えたって言いかがりでしかない。しかし今はそれがまかり通る時代である。
そんな時代にあって、注意深く聴いていると、最近のギターの音そのものがCD化しているのに気づく。生の音楽の表現の範囲はCDのそれとくらべものにならない広さである。すなわちCD化とは表現の幅を狭くすることに他ならない。豊かな音楽を希うのが本来だとすれば、この変化は聞きのがすわけにはいかない。この事実を言いつづけていくのはアコースティックで育った我々の世代の役目だと思う。
