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先達

先頃イタリアの巨匠、オスカル・ギリアの演奏会に行った。マエストロ・ギリアは僕にとってはスペインに留学してたころに、夏のイタリアのシエナでおこなわれるマスターコースに通って4年間面倒見てもらったなつかしの先生である。ちょうど 20 年前の話である。演奏を聴くのも 20 年ぶりである。そのころの思い出がいっぱい浮んできてちょっとわくわくして出かけた。
 昔とおなじように子供のような笑顔でステージに現れたマエストロは習ってたころよりもいっそう貫禄がついて(130キロという話しだった。ちなみに当時も100キロはあった)、坐ったとたん、椅子が悲鳴をあげていたのにはちょっと苦笑してしまった。
 会場もしずかになる。さてここゆが始まる。ひざの上でギターを落ち着かせてから、両手が下がる。頭が下がってきて頚椎の上のほうをじゅうぶんリラックスさせる。しばらく腕をぶらぶらさせて重さを確かめるように、身体中意識してバランスをとっていく。何度も見た独特のポーズだ。
 いったん決心して腕があがるが、また下がる。間合いをはかっている様はまるで大相撲の立ち合いのような瞬間だ。そして向こうからやってきた音楽とぴたりと息をあわせるかのごとくスタートした。
 バッハのプレリュード、フーガ、アレグロに始まった演奏会はどの曲も色彩感にあふれて、上等のタペストリーのように慎重に織られてなお面白さに満ちていた。確実に20年前の演奏より素晴らしかった。
 研究、練習、摂生どれを欠いてもいい演奏は成立しない。それをマエストロは口先ではなく演奏で証明してくれた。先達として、20年経って「さあ、ついて来い」と再び言われたような気がした。「マエストロ、貴方に学べたこと、とても誇りに思ってますよ」

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先頃イタリアの巨匠、オスカル・ギリアの演奏会に行った。マエストロ・ギリアは僕にとってはスペインに留学してたころに、夏のイタリアのシエナでおこなわれるマスターコースに通って4年間面倒見てもらったなつかしの先生である。ちょうど 20 年前の話である。演奏を聴くのも 20 年ぶりである。そのころの思い出がいっぱい浮んできてちょっとわくわくして出かけた。
 昔とおなじように子供のような笑顔でステージに現れたマエストロは習ってたころよりもいっそう貫禄がついて(130キロという話しだった。ちなみに当時も100キロはあった)、坐ったとたん、椅子が悲鳴をあげていたのにはちょっと苦笑してしまった。
 会場もしずかになる。さてここゆが始まる。ひざの上でギターを落ち着かせてから、両手が下がる。頭が下がってきて頚椎の上のほうをじゅうぶんリラックスさせる。しばらく腕をぶらぶらさせて重さを確かめるように、身体中意識してバランスをとっていく。何度も見た独特のポーズだ。
 いったん決心して腕があがるが、また下がる。間合いをはかっている様はまるで大相撲の立ち合いのような瞬間だ。そして向こうからやってきた音楽とぴたりと息をあわせるかのごとくスタートした。
 バッハのプレリュード、フーガ、アレグロに始まった演奏会はどの曲も色彩感にあふれて、上等のタペストリーのように慎重に織られてなお面白さに満ちていた。確実に20年前の演奏より素晴らしかった。
 研究、練習、摂生どれを欠いてもいい演奏は成立しない。それをマエストロは口先ではなく演奏で証明してくれた。先達として、20年経って「さあ、ついて来い」と再び言われたような気がした。「マエストロ、貴方に学べたこと、とても誇りに思ってますよ」

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