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翻訳
古今の名作には名訳があり、知らない国の言葉でも僕たちにその味わいを伝えてくれる。
日本の古典においても、たとえば源氏物語では大谷崎の翻訳(現代語訳)などつとに有名である。いい訳であうと、ほんとうに楽々と読めて理解が進むものだ。翻訳に必要なのは元の言語に詳しいのはいうずもがな、訳す言葉にも詳しくなくてはできないだろう。そしてそれを結ぶセンスも要求されよう。
この翻訳とギターの練習がけっこう近しいと思うようになってきた。
どういうことか。楽譜からイメージされる音楽というものは、そのままでは「音(楽)」にならず、頭の中の空想の世界に留まったままだ。これを現実にしていくための試行錯誤の過程を練習というわけだが、翻訳に似た作業と言っているのは、その元が「イメージされた音楽」、訳し出されるものは「運動」である。
いくら、レガートに弾きたい、あるいは軽々とスタッカートを、と思っても、じっさいにその実現に必要な運動を熟知していなければ、いくら練習を積み重ねたところで空回りし、無駄な時間を過ごすことになる。なめらかに音をつなげたいために運動がゆっくり(イメージとしては確かにそうなのだが)になって逆に音が切れ切れになっているのはよく見かける間違い。
ヒントは、左手の「どの指を“いつ”離すか」「いつ“どこ”へ移動させるか」、右手の「どの指”を“いつ”弦に触るか」など、ふだんは無意識にやっている動作に光をあてることである。それを実践することで、すべての運動にはつながりがあることがわかり、コントロールの意識に濃淡がなくなり、運動は無駄が省かれ、合理化されることによって、結果、音楽に余裕がうまれてくるのだ。
じっさいに試してみると、その効果はてきめんである。
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