大谷 環 エッセイ
「ことば」
ふだん考えることもなく使っていることば。人間が生み出した最高の道具であることばは音楽を学び、理解していくプロセスにおいても、とても大事で便利なものだ。レッスンの時にも当然それは欠かせないし、重要なコミュニケーションの手段であることは事実だ。
ところが、それに信頼をおきすぎてしまうと音楽をするりと逃げていってしまう。音楽は言葉に置き換えられないからこそ、価値がある。
具体的にどう注意するか? 大事な場面になったら言葉で理解するということをやめてみるのだ。たとえば「アクセントをつけて」と言われて、そのまま「わかった」つもりになっても、たいして役にはたたないけれど、先生が弾いてくれたそのタイミング、勢い、鋭さ、音色などを聴き、からだの動き、呼吸、エネルギーの流れなどをしっかりと見て、(ことばに替えることなく)感じとろうとすると、がぜん今何が起こっているのかを理解することができる。全感覚で受けとめることになるからだ。それが上手な学習のしかたである。
試してみれば一目瞭然なんだけど、ことばをシャットアウトすると他の感覚器が非常にシャープになるのがわかる。この現象は音楽に限ったことではなくて、他のことにも同じことが言える。
つぎに旨いものを食べたとき、「旨い」といわないで「感じる」のにまかせよう。すると、そこは快感のうずである。ことばに替えると「うまい」の、それこそ一言でおわりだ。旨さを説明していけばいくほど、核心から離れて行ってしまうような気さえするのは思い過ごしだろうか。
デリケートなコミュニケーションの時をおもいうかべてごらんなさい。対面しているときだったら相手の表情とか、声の高低。手紙だったら字の勢い(ワープロじゃわかんないけどね)……etc. とか自然にことば以上のものを読んでいるでしょう。音楽もそういうデリケートなことのひとつじゃありません?
