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大谷 環 エッセイ
​「宿題(その1)」

 

菅原明朗。作曲家である。1897年に生まれ、1988年91歳帰天。僕にとって大事な恩師である。先生との最初の出会いはとても衝撃的だった。

 

僕は二十歳を超えたばかり。何でもわかっている気でいた生意気盛り。先生はすでに大家(僕とは56年の開きがある)であり、さすがに覚悟して会いに出かけた。用事はすぐ済んで、音楽の話になったが、その内容にまったくついていけなかったのはいまでもとても印象に残っている。先生は音楽用語は全てイタリア語、ラテン語、フランス語であり、訳語を使われないのだ。訳語には間違いが多くて使えない、といわれる先生のスタンスは後日きくことになるのだけれど、その時はそんなことを知る由もなく、ただただあっけにとられて帰ってきたのを覚えている。


こんなにも判らないというのは「何かある」というのがその時感じたことだった。それまでやっていた勉強法とは全然違うアプローチがある、という気が強くした。そしてそれが正しいとも感じた。その日から、機会を作っては先生宅に上がり込んで話をきいていた。話がそこそこ解るようになるまで、1年以上はかかっただろうか。内容が解らなくても入れ込んでいたのは先生の音楽に対する情熱と、純粋さに強烈に惹かれたからだ。


先生の助言もあって、その後僕が7年半ほど日本を離れた時間をのぞいて先生が亡くなられる時まで、ずっと話をうかがうことができた。先生の話は音楽、美術、歴史、文学など広範に亘り、尽きることがなかった。どんな内容の話にも、音楽への愛情があふれ、こんな音楽生活ができたら素晴らしい。といつもの憧れていた。


教えは弟子達の記憶のなかでに、また格調のたかい文章としてたくさんの書物の上にのこされた。それらの中には僕にとって生涯の宿題となったものもある。
「音楽との接し方は全面的に奉仕するという態度しかないんです」機会あるごとに聞かされて、今も自分の中でなんどもくり返し考えている先生の言葉のひとつである。

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