大谷 環 エッセイ
「日々の練習」
練習は面白くて毎日やっている。次のコンサートのプログラムの練習がメインだけれど、その前に、基本パターンを導入に使っている。右手だけで開放弦の練習をひとしきりやってから(今はこれが一番面白い)、音階、スラー、アルペジオというのがおおよその決まりだ。それらはどれもウォームアップの役割もはたしてはいるけれど、それよりももっと大事な要素がある。
よけいなことをしない、という習慣をつける、またはそういう注意を持続させる練習として使うのだ。
練習全体の目的を一言でいえば「今よりすこしでもスムーズにギターをひくこと」だから、それに反する(つまりスムーズでない)アクションをしないことである。
ところがそうは思っても実際のレパートリの練習になれば、運動のパターンが複雑なものだから、ついつい「なんとかして」しまうのだ。その何とかしてしまうパターンにはえらく有害な動きや、感覚の欠如状態が含まれていて、野放しにすれば、それこそやればやるほど下手になることにもなりかねないし、身体を傷めることにもなる。
そういうよくない習慣に落ち込むのを防げるのは、注意深い練習でしかないのだ。いつも動作のクオリティに注意して、すこしでも身体に緊張があれば、Noということができて、すこしでもつまらない音があればこれもNoといえる習慣を身につける機会にするのが基本練習の正しい使い方と今は思う。
いきなり曲に応用が効くわけではないが、続けていくと確実に変化があらわれる。根気のいる作業だけれど、音、音楽が磨かれていくのが実感できるのだ。
昔カザルスの本に、生涯にわたってずっと音階だけは弾いていた。音階だけでその日の練習が終わることもあった。という記述を読んでその時はよく解らなかったのだけれど、いまはその面白さも意義もとてもよくわかる。
