大谷 環 エッセイ
「楽譜」
音楽を書きとめる方法として一番ポピュラーなのが5線譜である。ギターの世界ではタブ譜というのもよく使われていたりするが、どんな記譜法もそれぞれ一長一短あり、どれが一番いいということもないのだけれど、楽器の種類を超えて使えるという便利さでは5線にアドバンテージがあって現在はこのシステムで書かれるのが普通である。
楽譜は良くできてはいるものの、あくまで音楽を書きとめるだけの目的(そうすると沢山のひとが音楽を楽しめることができるから)で生まれたものであり、「音楽そのもの」ではないということを忘れてはいけない。音楽の設計図のようなものだと考えるとわかりやすい。
設計図は読めないといけない。設計図は論理上完璧だが、音楽は理屈に合わないところだらけで、そのギャップがわからないと読めないということになる。音楽学校でよく言われる注意(ぼくもさんざん言われた)「楽譜どおりに弾きなさい」はいかにももっともらしく響くが、じっさいはまっかな嘘で、「楽譜どおりに弾いた」りしたら音楽になりはしないのだ。
そのギャップを知るには、まず、楽譜は不完全なものであるとの認識をしっかり持つこと。そして楽譜に対する深い洞察力をやしなう必要がある。そのためには音楽の聴き方をかえよう。
ただいい演奏に接して「うまいなあ」と思うだけから、もう一歩進んで(つまりじっさいどう弾いているのかを聴いて)、どうしていいと思うのかを考えてみるのだ。そうすることで今まで素通りしていた本当にたくさんのことに気付くことができるはずだ。
ポール・ヴァレリは「ドガ・ダンス・デッサン」で「机の上にある花をぼーっと見ている場合とデッサンしようと画用紙に向かっている時とではまったく違う」と言っているが、これは演奏を学ぶときにもいえることだろう。
