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大谷 環 エッセイ
​「石の上にも3年半」


​40代も終わろうとする時、タッチを変えた。いままでやってきた奏法はどうしても(ときに体力的な面で)納得がいかなくなってきて、いろいろ模索しているうちにタッチの変更に思い至った。

今までやっていたのは、全面的に筋力によったものであって、疲労度もおおきく、音質の安定という面でも不満があった。


​バイオリン、チェロなどの教本、あるいはスポーツ選手、武道家のパフォーマンスや意見などを参考にして考えたのは、重力で腕または手首から先を落として音にしようというなるべく体力を消耗しないシステムだった。(参:シンプル・メソードー1)
​コントロールする動きの大部分を重力に頼ればいい(動きの方向は地球の中心しかない)というシンプルさは、練習に迷いを少なくさせてくれたし、筋肉に頼らないということはもちろん体力的な問題を軽減してくれ、同時に「演奏自体が気楽になってきた」という思ってもみなかった副産物があった。


​しかし、まだこのやり方が完全に身に付いているわけではない(まだまだ磨ける)し、タッチを変更したからといって、すべての問題が解決できたというわけではない。非常にスピードのあるパッセージはこのシステムでは追いつかなくて、まだ筋力に頼らざるをえないし、高音の艶などにはまだやれることがありそうな気がしている。


​でも今は問題があってもいい、と考えているのだ。考えをスタートして、身体がそこそこイメージとおり動くところまで来るのに3年半がかかった。この後また3年でも5年でもかけるのだ。研究はどこまでやってもきりがなく、その結果もっといいシステムが見つかるかもしれない。その時はまた潔く今までのものを捨てる。自分を変えることにやぶさかで(過去につかまりさえし)なければ、これからもどんどん面白いことに出会える気がしている。

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