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大谷 環 エッセイ
​「筋肉の記憶」

10年ほど忘れていたレパートリを弾いてみてあらためて気づいたことがある。弾いていくと、それを練習していたころの体の使い方がでてくるのだ。その曲の記憶が、身のこなし(筋肉の使い方)も含めての記憶ということなのである。


​その身体の使い方だと今では窮屈をかんじるので、新しく工夫していったなるべく筋肉の仕事を少なくする身体の使い方(詳しくは拙著『ギターのためのシンプルメソッド』を参照ください)でその曲をやってみると、面白いことに曲の記憶が繋がらない場所がでてくるのだ。明らかに今のほうが身体のながれは合理的だし、楽なのに、古い曲の記憶には身体を緊張させているという情報も一緒にまとわりついているので、そこを切り取ってしまうと、今度は曲自体の記憶もあやしくなってしまうということなのだろう。


​ここからあたらしい方法での演奏(練習)に変えていくのは根気のいる地道な作業で、注意の持続がとても肝要だ。わかってはいるのだけれど、簡単ではない。ぼんやり弾いていたりすると、昔の癖が必ず顔をだして、逆戻りしてしまう。単純(無思考)な練習の繰り返しではできない。


​この楽ではない作業がなんとかできるのは、これがけっこう「楽しい」からだろう。何度も失敗しながら、動きの質に注意して一音一音納得しながら続けていくと、そのとき運動に対するセンスは筋肉がほどければほどけるほど、確実にアップするということが実感できる。これがとても楽しい。これがあるからこの面倒な作業をいとわずできるのだ。「楽しい」はいつもエネルギーのもとになる。


​筋肉の記憶の部分が一新された時に音楽がどう変化するのか、今の自分には想像もつかない。よい方向に向かうのかそうでもないのか?とても楽しみなのである。いずれにしても未知の世界なのだから。


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