top of page

大谷 環 エッセイ
​「よいレッスン、悪いレッスン」


​世の中は広いもので、ギターの先生だって良い先生もいれば、悪い先生もいる。

では、「良い先生」を定義づけるとするればどう言うべきだろう。

 

一番の条件は学ぶ人との相性がいいことだ。この条件を満足していないかぎり、いくら大先生であっても授業料のむだづかいだ。

 

逆にギターを弾く腕がそこそこであっても(全然へたは論外)マエストロたりうるのは面白い。半年もつきあえば、先生との相性はわかってくるものだ。もし合っていないと思ったら早めに止めるべきだと思う。その間の授業料は無駄かもしれないが、そのくらいケチケチしてはいけない。ギターとの付き合いは一生モノとなるかもしれないのだから、それを考えれば半年の授業料など安いものだ。「三年学ぶより、三年師を探せ」というのはよく言われることだが、ギターにもまさに当てはまる。

 

質の悪い先生に永くついて気がついたらトンでもない癖が付いてしまって直すのに四苦八苦というのでは泣くに泣けない。
そして、よい先生にめぐり合ってからも何もかも先生まかせにしないで、自分で工夫するのも生徒のつとめである。それがあって初めて面白いレッスンが成り立つというものだ。

 

ある程度レッスンが進んでいくと、シグナルの一方通行では済まなくなる。どうしても生徒の練習を前提にレッスンが発展していく時期は来るのだ。
生徒さんのほうが必ず主役になるということだ。レッスンにさえ通っていれば上手になるというのは単なる思い込みである。レッスンは練習の代わりにはならない。


僕の師匠で作曲家の菅原明朗という人がいた。いつも「1回のレッスンで一つのことを覚えればいいんです」といわれていて、曲を弾いて1つだけ注意されて、その事ができたらおしまい。日によってはレッスンは5分で終わって「コーヒー飲みましょう」だった。僕も少し歳とったらこんなレッスンをしてみたいと思う。

bottom of page