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大谷 環 エッセイ
​「わざ」


​ずっと以前から研究していたアレクサンダー・テクニークという身体(心身)の使い方にかんする新刊の本を最近読んで、技術の側面でどうしても前のやり方を変えなくてはならなくなってきた。他人から見ると一貫性に欠けているだろうし、レッスンにおいてもそんな局面がでてきて、古い生徒のみんなにはちょっと(たくさん?)迷惑をかけている。


ギターを学びだしてから、これまで20年以上続けてやっていたことが崩れて(良い意味でだが)、すこしずつ新しい方法がなじんできて、それこそ若いときの技よりは今のほうが動きはなめらかだと実感できるようになってきた。じっさい学生のときは「ただ練習だ!」というような大雑把な世界で、内容について検証などしてなかったし、セゴビアやブリームのような大家がこうやって弾いているから正しいのだ、と疑問も感じずに(きっと先生もそうだったろう)練習に明け暮れていた。一生懸命やってはいたが、たいしてうまくなったように思えなかったのも、この時期ではあった。

なにしろ一番基本になるところが間違っていたのだからうまくなるはずがない。


​正しい技(術)というのは、それをやれば本人がどう思おうと結果をだせるやり方をいうのではないか、と思ってきた。西洋では進んでいるような面もあるけれど、そういうアイディアの体系がなくて、誰かに教えられなくても自ら気づくことのできる天才たちだけがギターをうまく扱っていたと言ってよい。


良い技術というのは、楽器の扱いにたけることを言うのではない。身体の扱いに長けていることをこそいうのだと確信している。そこを間違えずに、注意深く練習をかさねていけば、今までのやり方を無批判に盲目的に繰り返すという愚をおかすこともないだろうし、ひょっとするともっともっと面白いやり方だって出てくるかもしれない。​

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