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大谷 環 エッセイ
​「ギターという非日常」


どんな音楽にも人に聞かせて楽しむ要素と、自分のために弾くという両面を持っている。ギターはその「自分で弾いて楽しむ」という要素がとても強い楽器だと思う。

かかえて弾くというフォーム。大きすぎない音量。はるか遠くに消えていく透明な音。そんなところが原因なのかもしれない。

ギターを弾いて疲れをいやされた。ギターを弾いて嫌なことを忘れた。ギターを弾いて悲しみが慰められた。ギターを弾いていたら頭(腹)痛がなおった。ギターを楽しんでいる人からよくそんな話をきく。それは初心者から、ベテランまですべての人が受けられるギターからの恩恵である。

簡単な曲よりも難しいのが弾けるようになるほど効果があがる、なんてことはない。どんなレベルでも同じだ。これはギターを弾くということがとても「非日常」的で、それまでの「日常」のリズムを断ち切ることができるからだろうと思う。

「日常」は忙しさにかまけたり、いろんな理屈をめぐらせて頭のなかが「今・ここ」にいることができない。放っておくと頭と身体は分裂状態になっているのだ。たとえばご飯を食べながらTVを見ていたり、ひとと話をしながら、次のスケジュールを考えていたりすることはないだろうか? 心と身体が同時進行していないということ。でもこれは明らかにエネルギーの浪費なのである。

ギターを弾く行為は頭脳にそんな「すき」をあたえることがない。分離した状態での演奏も可能ではあるけれど、いい音楽はけっしてうまれてこないので、必然的に「心身一如」を迫られるのだ。その時には社会的につじつまを合わせる「向上心」(まあ、これもただの欲だが)とか「計画性」(ちっぽけな判断からしていないと言い切ることができるんだろうか?)などからも自由だ。

そのとき生まれる大きなエネルギーが また日常に生かされる。これこそ音楽をやっている最大の楽しみであり喜びである。

 

 

 

 

 

 

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