大谷 環 エッセイ
「あきらめる」
ある程度弾けるようになってくると、自分では成長が止まったように思えるときが来る。思うように行かないのだ。これはどんなにギターに向いていると思われる人でも全員におこる現象だ。ここをうまく乗り切れるとまた面白い世界が見えてくるのだけれど、正直言ってこの時期はつらい。
僕は「諦める」ことを提案する。しょっぱなから「そりゃないよ」としかられそうだが、「諦める」はこのばあい「明らかにする」ということだ。説明しよう。
スランプのときは見えるものも見えなくなっているのが普通だ。特に自分自身は見えづらい。目標が高すぎるが、無理を通そうとしていたりすることが多い。たとえば50をすぎてギターを初めて手にして、3か月で「禁じられた遊び」はよっぽどでないと弾けない。またドレミの位置を探しながら弾いている段階で曲に表情をつけようとしてもそれは無理というものだ。そう言われるとその通りだと思うでしょう?
ところが自分の事となるとけっこう似たような事をしているものなのだ。
そういう時は一歩下がって自分自身を見てみるといい。理想が先行しすぎているのを見たり、がむしゃらに練習している自分を見るのだ。「明らかに見る」のだ。方法を見いだそうとするのではなくて、ただ自分のやっている事を見る。
何度もやっても出来ない理由は、本人の努力が足りないということでなく、殆どの場合やり方に問題がある。繰り返し繰り返し練習をしていると、脳味噌は考えることを放棄してしまい、チェックが入らないただの機械的な反復になってしまうことが往々にある。もうこうなったら何度やったって上達は望めない。
「明らめる」ことによって新しい何かが生まれてくる。その時心は平安であるし、スランプの時につきものの「焦り」の感情も消えているはずだ。
