大谷 環 エッセイ
「ふたつの耳」
ギターを続けていくのにどうしても必要なことがらに耳のトレーニングがある。
ギターのキャリアが積まれていくに従って、耳もセンス・アップしていくものだが、ポイントに気付くとよりいっそうの磨きがかけられるようになる。
さてそのセンスだけれど、内容を調べてみるとふたつあることがわかる。一つは自分以外の人が発する音を聴く耳。そしてもう一つが自分自身の音を聴く耳。
音楽を聴いている時「いい演奏だなあ」とか「すばらしい音楽だなあ」とか言ってるうちは(もちろん演奏を磨いていこうという立場からなのだが)あまり熱心に聴いている状態ではない。いってみればぼんやり聴いている状態だ。実際に出ている音よりも心情に響いている物を味わっているのだ。音楽は「音」という素材による物理現象だ(ちょっと堅苦しいけど他に言いかたがないのでかんべん)、というところに注目していくと、もう少し踏み込んだ聴き方が可能になってくる。
たとえばレガートに聞こえる場所では「心情的には」同じ音強で並んでいるように聞こえるが、実際はそうでないのがわかるだろうし、また、たとえば三連符の長さも均等でないのがわかるだろう。フォルテのところは「そのように聞こえているだけ」なのかもしれない。こうやって聴いてはじめて本当の音楽の姿がみえてくるのだ。
そのあとが自分の音を聴く耳を育てるということになるのだけど、ギターを弾くという非常に複雑な運動をしている時に感覚器はあまりまともな状態にはいられない、ということは覚えていた方がいい。
よく出会うのが、他人の音には敏感に反応するのに、その本人が出す音ときたらとんでもない音の人達だ。以前は不思議でならなかったけど、上述のような事実に気づいていくと、しっかり納得がいってしまった。「心情」や「運動」に邪魔されない、役に立つ「純粋な」聴き方もあるということでした。
