大谷 環 エッセイ
「目のうろこ」
なんとか、もう少し上達したい。それは、音をはじめ、ギターにかんすることへの気付きから始まるといっても過言ではないと思う。とは言え自分で気付こうと思ってみたところでなかなか難しい。
こんなことがあった。もう20年も前のことだけど、住んでいたマドリッドで、画家の友人とプラド美術館にいったことがある。住まいが美術館とは目と鼻のところだったので、それ以前にも何度も足を運んだことがあり、何がどこにあるかぐらいは頭に入っていたつもりだった。ベラスケスの名作「官女たち(ラス・メニナス)」も好きな絵で、何度も観ていたはずだった。
絵の前で友人は言った「王女の手のところを見るとね、筆でシュッシュッて描いてあるだけでしょ。指一本一本なんて全然描いてないわけ」「でも、ちょっと離れて見るといかにも完璧に指があるかのようにみえるんだ」
今でもこの時の感激は忘れない。いかに自分がぼんやりとしかものを見てなかったということを思い知らされた瞬間だった。目からウロコというのはこのことだと感じた。それ以来、絵を見る態度が全然かわったのは言うまでもない。
僕たちは何ごとにつけ、知ったような顔をして暮らしているのではないだろうか? 別にそれは故意ではないし、ほとんどのことに支障はないんだけれど、そうなってしまうと追求は終わってしまうのは事実だ。
音楽にたいしても同じようなことが言える。ギターを弾くためには、技術的な問題を解決しなくてはならない時期が必ずあって(とくに新曲を始めた時など)、実際の音というのを聴かず(いや、聴けずに)、しばらく時間が流れる。そのまま進むと落とし物(中身は人によって変わるが)をしたまま、いってしまうことも多々あるのだ。
ちょっと他人を頼ってもいいかなというお話。
