大谷 環 エッセイ
「編曲」
ソロにしてもアンサンブルにしても編曲の仕事は楽しい。なぜって、今までは聴いているだけの世界だったものが、編曲ができあがった時点から自分の手で直接能動的にかかわるようになるからだ。外の世界から内の世界へということだ。
聴くより弾くほうが何十倍も楽しい、というのは楽器に触れている人ならば誰でも共感することだろう。下書きが終わって清書しているときなど、もうすぐにでも弾いてみたくて、インクの乾くのさえもどかしい。
編曲のこつは何ですか?と問われたら僕は惑わず「選曲です」と答える。とくにクラシックの曲の場合はそうだ。初めから不可能な曲を選んだところで徒労に終わる。ここがうまくいけば90%成功したと言って良い。だからここで間違うわけにはいかないのだ。じゃ、その選曲のこつは?と問われたら「経験です」というしかないだろう。
ギターへの編曲というのは殆どの場合、オリジナル曲のほうが音が多い。ピアノ、室内楽、歌曲など、どれをとってもギターで同時に出すには音が多すぎて、けっきょく音を削っていく作業が編曲になる(ちょっと話が大ざっぱでごめん)。
バッハの無伴奏チェロ組曲とか、バイオリンソナタなどは音を付加していくことによってこそギターのアドバンテージが表に出てくるが、これらはやはり例外というべきだろう。その省音という作業はパズルのごとき面白さである。めいっぱい音を残そうとすれば、難しく運動性にかけ、また削りすぎは寂しい。こいつをいい塩梅にやってのけるところに腕の見せどころがある。バランス感覚こそが第一だ。
昔編曲作品の一部はレコードの代わりでもあった。こんな曲があるんだよといったって、オペラの公演など聴くチャンスもない人たちのためにかのタレガは「椿姫の主題によるファンタジー」などを書いたのだ。
